OK?ひきこもりOK!

先日萩原君に買ってきてもらい、ようやく読了。
村瀬学の「次の時代のための吉本隆明の読み方」(ASIN:4896917170)で、斎藤環との対談が不満だったとの記述があったので、読んでみたかったのでした。
しかし、あたしはあったま悪いのであんまりよーわからんかったのですが・・・・
個人的感想。偏見まみれとはおもうですが。
いまの40代の人たち、いわゆる新人類っていう人たちは、正直、あたしは憧れなのです。いまでも。
彼らは今までだったらバカにされてたよーなものに、全精力をつかっちゃうようーな、、、そんなエネルギーがうらやましかったわけです。
だから、そういう人たちは、前の人たちから「そんなアホなことに力をつぎこみやがって」という非難から一生懸命戦ってきたんだろーなーと思うわけです。
いろんなことを考えたり、工夫したり、作ってきたことにプライドもあるし、誇りもあるだろーし、オレいちばん!みたいなのもあるんだろーなーと。
で、「わかるやつだけわかってくれればいいんだ」みたいなとこもあるっちゃーあるような。
それってすっごくかっこいいなーと思うのも反面、わかんないあたしは悲しいわけです。
なんか、それで、ちょっとだけど思うのは、あたしくらいの世代ってゆーか、自分がそうだからだけかもなんだけど、「みんなはわかってるのに、あたしだけわからない」みたいな疎外感があるわけなんです、そういうとこが。

あたしが村瀬せんせを好きなのは、なんか、はだかの王様に「あ、はだかだー」って村瀬せんせって言っちゃうようなとこがあると思うんだー。すなおーーに。
で、それで、あ、よかったーってあたしも安心するっていうか。
(多分、村瀬せんせが、障害児施設の職員だったころに、お母さんたちにわかりやすような文章を書いていたっていうことも大きいと思う)

村瀬せんせと、斎藤せんせの対談を読んで、たしかに斎藤せんせのやってることは、村瀬せんせの言ってることと同じことじゃん、とはふつーに思いました。
でも、斎藤せんせが「共同体なんてもんはないんだ!」というのもなんとなくわかる。こっちが一生けんめかんがえたものが、昔のものと結局同じだなんていわれたら、反発してたもんと同じだって思ったら、くやしいし、「共同体とか家族なんてないやい!幻想だいっ!結局個人さっ」とは、あたしも思うもん。(でも村瀬せんせの言ってることって結局個人の話だったりするよね?)

でもさ、村瀬せんせの「おじさんっぷり」も私は思うとこでもあるので、ぜんぶを肯定してるわけではないのです。

なんか、結局つきつめてけば同じかなーとは思ったんだけどもさ。あー、でもあたしあたまわるいから、よくわかんないや。別の斎藤せんせの本も読んでみようかな。
(でも、OK?ひきこもりOK!のアマゾンのレビューは斎藤せんせ持ち上げすぎでちょっと気持ち悪いです)